美少年殺人鬼
これは実際に有った話しです。
2018年 映画化しアルゼンチ国内でメガヒット作となりました。
日本国内でも《永遠に僕の物》という題で放映されたようです。
主人公となった殺人鬼は当時19才でした。
名前は「 カルロス ▪ エドゥオルト •ロブレド• プッチ 」
1952年1月19日
ゼネラルモーターズの技術者の父とドイツ系移民の母のもとに生まれました。
女の子の様に可愛く
幼少期は内気な性格だったと言います。
労働者階級の家庭でそだったプッチは
何不自由無く、高校生になります。
美少年に成長したプッチには
言い寄る女の子が沢山いたそうです。
しかしプッチは穏やかな日常に飽き刺激を求めるようになりました。
当時の友人 アイバニーズが窃盗をしている事を知り、共に犯罪を起こす事になりました。
プッチはお金や女性に困っていた訳ではありませんでした。ただ、刺激的な生活をしたかっただけです。
1971年3月15日
貴金属店へ強盗に入り現金を含めて総額35万ペソを強奪、眠っていた店主を銃で射殺。
1971年5月9日
メルセデス•ベンツの部品を扱う会社で働くビセンテ•ロペス家に侵入。
プッチは銃を発砲しビセンテは死亡
妻も撃たれ負傷、強姦されかかったが
その時に赤ちゃんが泣き出し
プッチは赤ちゃんのベッドに発砲
妻、あかちゃん共に命は助かりました。
後に妻は裁判の証言をしたそうです。
1971年5月24日
スーパーに侵入し警備員を殺害
1971年6月3日
車を強奪、盗難車の後部座席で相棒のアイバニーズが16才の少女を強姦、その後プッチは少女を5回銃で撃って殺害
同月中旬
2人の若い女性を襲撃する。
一人の女性を強姦するが、もう一人は逃げ延びている。
1971年8月5日
アイバニーズを乗せ、運転していた車が事故を起こす。アイバニーズは死亡、プッチは無傷でした。
アイバニーズは事故死として処理されるが実際はプッチによる故意の事故。
つまり殺人でした。
その後ソモサと言う新しい共犯者と共に再び犯罪が開始されました。
1971年11月15日
ソモサと共にスーパーに侵入し警備員に発砲し負傷させた
1971年11月17日
車の販売代理店に押し入り従業員を射殺
1971年11月24日
車のディーラーに侵入し従業員のマルティネスを脅し金庫の鍵を奪い100万ペソを強奪、その後マルティネスの頭を撃って射殺し逃走
1972年2月1日
プッチとソモサはハードウェアストアに向かうと
警備員を殺害、店内に侵入する。
強盗の最中プッチは相棒のソモサを射殺、殺害した。そしてソモサの胸を裂き、顔を殴打して火を点け燃やした。その後プッチは商品を盗んで逃走。
1972年2月4日
プッチ 逮捕 (当時 20 才 )
この少年は1年程の間に
11件 の殺害 1 件 の殺人未遂
17件 の強盗
1 件 のレイプ 1 件 のレイプ未遂
1 件 の性的虐待
2 件 の誘拐
2 件 の窃盗
これ程までの犯罪を犯してきました。
1972年7月7日
プッチは裁判を待つ間、拘留されていたオルモス刑務所から逃走しましたが警察官によって身柄を確保され
1980年 有罪判決、終身刑の判決がくだりました。
現在プッチは70才。
いまだ 刑務所に拘留されています。
アルゼンチンは死刑禁止の国です。
どんなに罪を犯しても犯人は生きています。
そしてニュースとしてテレビで報道される時、
犯人は人権尊重といい顔を隠します。
これが良い事なのか、悪い事なのか....
被害者からすれば、理不尽な話です。
私は死刑やテレビで公開することは悪い事だとは思いません。
罪を犯せば国中に知れわたり、自分の人生が台無しになる。
人を殺せば、自分も死刑になる。
そう思えば犯罪を犯そうとする人は減るのではないでしょうか...
犯罪を犯しても、人を殺しても住む場所と付き合う人が変わるだけ。
それでは犯罪は減らないと思います。
特にアルゼンチンの刑務所は日本と違って自由です。
みんな個室で窓にカーテン、ベッドとテーブル、テレビ、ミニキッチン、トイレ、シャワー付きです。タバコも吸えて、服装も自由、女性は化粧もしています。日々自由な生活をしています。
唯一違うのは、家族や友人に会えない事、刑務所内以外には行けない事、監視員が居る事、それだけです。制約は殆ど無いようです。
犯罪者の人権を守って、逮捕された後も快適な生活ができ、反省の機会が与えられず釈放、再び犯罪。この国の犯罪が減らない原因は
犯罪者がきちんと自分が犯した罪に対する罰を受けない事に有ると私は思います。
国は犯罪者にお金を使うのでは無く
被害者を減らす為に、被害者になってしまった人達の為にもっとお金を使うべきだと強く思います。
同時に犯罪者は自ら犯した罪を償うべき!